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「桜田門外の変」関係の風聞集
ほんとうはもっと早い時期に話題にすべきだったんだろうけれど、今年は桜田門外の変が起こってから、ちょうど150年目だった。
事件は安政7年(1860年)3月3日のこと。旧暦の上巳の節句に大雪が降るというのは、きわめて珍しいことだったろうが、太陽暦に直すとこの年の3月3日は3月24日だそうだから、大雪はあり得ないことではない。
大老暗殺という大事件だっただけに、同時代の人々の関心を大いに集め、各種の記録が残された。吉村昭氏の小説『桜田門外ノ変』は、残された多くの同時代資料に基づき、事件までの経緯と、実行に加わった者たちのその後の足取りを、詳細に追っていて、読み応えがある。
桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)桜田門外ノ変〈上〉 (新潮文庫)
(1995/03)
吉村 昭

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秋には、この吉村氏の小説を原作とした映画も公開された。吉村氏のドキュメンタリータッチの作風が、どこまでうまく生かされているか興味もあり、観に行ったのが、かれこれ2ヶ月近く前か。それなりに興味深い作品に仕上がっていたが、視点人物(関鉄之助:実行犯のひとり)が映画だとヒーローとしてクローズアップされすぎてしまい、観る者はどうしても彼への感情移入が求められてしまう分、ドキュメンタリー風の生々しさというか、圧倒されるような事実の重みのようなものが薄れてしまったように思われる。
だいたい、テロリストに感情移入しろ、というのが難しい相談だと思う。
ま、それはさておき、吉村氏は、小説執筆に当たって参照した資料を、巻末に一覧として掲げているが、そこに挙がっているだけでも、かなりおびただしい資料である。関鉄之助自筆の日記類をはじめ、参照すべき資料はほぼ網羅されていると考えてよいのであろうが、世間には、事件当時の様々な人が、衝撃的な事件への強烈な関心から、資料を集めてまとめた文献が、いまなお、わりとしばしば古書市などにころがっているのを目にする。折に触れて、安いものを買っておいたものが、気付いたら4点ばかり私の手元にも集っていた。
万延聞書
まずは、『万延聞書』の外題を持つ写本(安政7年は、事件直後に万延元年に改元された)。事件直前の安政7年正月の徳川斉昭の書簡を冒頭に、事件後に各方面で執筆された文書類の写しから構成されている。比較的、公文書的性格の強い文書が中心に集められている。掲げた画像は、アメリカ公使・ハリスからの井伊直弼への負傷見舞(直弼は、襲撃時に即死しているが、公的には負傷したことにされていた)への返書。この他にも、フランス・イギリス等各国の見舞への返書が掲げられている。
船のはなし
お次は『船のはなし』という外題の一冊。題名の由来はよくわからない。安政の大獄から生麦事件のころまでの諸記録集。大老襲撃時の詳細な様子が記された後に、情報源について次のように記す(掲げた画像の終りから4行目)。
右は久永石見守(半蔵御門外)様中間、築地へ役の途中、右変事に出合、御堀土手へ隠れ居(り)、始終見届(け)候者より伝聞之話云々。
襲撃にたまたま居合わせた中間が堀端の土手の陰から見ていた目撃談だというのである。お江戸のど真ん中の出勤時間帯なので、大雪が降っていたとはいえ、目撃者は当然いたのである。
花散里 
さてその次は、『花散里』と題す。これは古書店の目録で注文したのだが、「『源氏』の写本じゃありませんよ」と店主から念を押された。桜田門外一件に関するやはり諸記録集で、外題は、舟橋聖一の『花の生涯』を先取りしていると言えなくもない。
画像を掲げた箇所では、井伊直弼の首級を挙げた薩摩藩脱藩士・有村治左衛門の最期の様子を記している。
有村治左衛門は左之手首無之、片手にて切首携(へ)龍ノ口・遠藤但馬守殿組合辻番場内に参り、喉を突(き)相果(て)候。腰巾着之内に金四両壱分弐朱有之候。外に薩州有村治左衛門兼清と認(め)候帳面壱冊、上書壱通、歌壱首有之候。左之通り
  忠孝 君が為尽す心の武蔵野に 野辺の草葉の露となるとも
治左衛門は、先の『船のはなし』によると、井伊の首級を切り落とすと、刀の切っ先に突き刺して、それを掲げて現場を立ち去ったらしい(吉村氏の小説も同断。複数の記録でその行動は記録されている)。映画では、この剣先に首を突き刺すという記録を採用していなかった。あまりにも生々しくすさまじい絵柄になってしまうことを憚ったためか。ヒトの首というものは見た目よりはるかに重いと聞いたことがあるが、それを剣先に田楽刺しにした光景というのは、事実はそうであったにしろ、なにか非現実的で、滑稽ですらあるような気もする。さて、その治左衛門の最期は、襲撃時に重傷を負ったための自害であった。襲撃時に重傷を負った場合、末期のうわごとなどであらぬこと(仲間の名前や所在など)を口走らぬため、自害するというのは、襲撃前に実行犯グループ内で申し合わせになっていたことは、吉村氏小説に記されている。かねて辞世の歌が携帯の巾着に忍ばせてあった、ということであるが、実はこの辞世には、文献により異伝がある。前掲『船のはなし』には「岩嶺(いはがね)も砕(か)ざらめや武士(もののふ)の世のためにとて思ひきる太刀」であった、と記してある。
隅田川底廼濁 
しかし、その「岩がねも…」の辞世は、有村治左衛門のものではなく、別の実行犯のひとり佐野竹之助(水戸脱藩士・事件後細川家に預けとなり、処分前に病死)の辞世二首のうちの一首だった、と記すのは、別の写本『隅田川底廼濁』という記録集(上掲画像)。しかし、佐野の辞世は、『花散里』では別のうたになっている(もう一首の方は両書とも同一歌)。情報の錯綜があるようだ。『隅田川底廼濁』で面白いのは、事件後に世間で行われた落首・俗謡の類を記録していること。映画でもとりあげられていた「ナイナイ尽し」(但、吉村氏原作には記述はない)も掲載されているが、その他にも、画像に掲げたような無責任な戯作の数々(一例「掃部頭頭取られて只の掃部となりにけり」)。
この文献は、編纂者の識語が巻末にあって貴重。曰く。
安政七于時万延ト改元セル年庚寅六月/諸説ヲ輯禄メ遂ニ此篇ヲ為スニ至ル/如蘭庵/靖郷筆記
事件から4ヶ月(この年は閏3月があった)ばかりでの成立である。
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斯道文庫編『書誌学展図録』
書誌学展図録
(慶應義塾大学附属研究所斯道文庫編,2010.12.1,209頁,\2,000)
大学院生の時分、慶応出身の人には、なんであんなに文献学や資料紹介の領域ですぐれた力量を持った人が沢山いるんだろう、と眩しい思いで眺めていたことがある。すべての理由がそこにあるかどうかは別として、多分その最大の理由が、斯道文庫という機関が存在することにあるらしい、ということがやがて分かった。
その斯道文庫が慶応大学の付属機関となって50周年(それ以前は福岡県の私設研究機関だった)を記念した展示がこの月曜日(11月29日)から開催されている(土曜日まで)。2日目の火曜日に行ってきた。
単なる貴重書の展示というだけではなく、展示をはじから観て行くと、古典籍の書誌学に関する知識をひととおりなぞることができるように工夫されている。展示図書の選定はもちろん、その開示箇所も、書誌学に関するどんな情報を示すかという目的に相応しいところが選ばれて展示されている。企画準備に相当な時間が費やされているであろうことが思いやられる内容。それにしても、書誌学ひととおりの事柄の説明が、所蔵資料でできてしまうということの迫力。国文学研究資料館でもこの春、類似のコンセプトの企画展示がありましたが、(あれはあれで面白かったけれど)展示資料のランクが斯道文庫の方が一段高い。
そんなわけで、展示図録は、そのまま書誌学入門の書にもなっている。制作には、この春、橋本不美男『原点をめざして』(笠間書院)以来の総合的書誌学入門書というべき、評判の1冊(↓、著者は4月から斯道文庫の所属に)を出版した勉誠出版があたっており
書誌学入門 古典籍を見る・知る・読む書誌学入門 古典籍を見る・知る・読む
(2010/04/04)
堀川貴司

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写真などにも充分な配慮が施されていて、理解を助けてくれている。
個人的には、版本の校正に関する資料が興味深かった。ああいう風に校正をしたんですなァ。著者にもよったのだろうが、平田篤胤という人は、相当細かいところまでチェックが入っていて面白かった。
さて、20年近く前、眩しく眺めていた若き慶応出身の研究者は、その後順調に各研究機関・大学に就職して行き、そして今、ほとんどこの斯道文庫に戻って来て、次の世代の育成にあたっている。その先生方が総出で、1日2回のギャラリートークが開催されているらしい。

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