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初代中村吉右衛門の映画
本日午後、坪内逍遥博士記念演劇博物館の主催の演劇講座として、「初代吉右衛門映画祭Ⅰ」なる企画が開催された。
このイヴェントの主催の博物館では、初代吉右衛門の企画展示(生誕125年記念?)が開催中で、それとタイアップした企画でしょう。
初代吉右衛門は、主演の舞台を記録した映画を3本遺している。「寺子屋」「熊谷陣屋」「盛綱陣屋」の3演目だが、そのうちの「熊谷陣屋」を本日は上映。前後に、朝日新聞の歌舞伎評でお馴染みの児玉竜一氏の解説が入る。
私は、今から四半世紀ほど前に、同じ箇所が主催した講座で、初代吉右衛門の「盛綱陣屋」は観ているが、「熊谷陣屋」は、今日が初見。
現今の舞台ではめったにお目にかかれない、相模の入り込みや弥陀六詮議の場まで含めたいわば「完全版」。監督はマキノ正博。
撮影は昭和25年1月29日、東京劇場(歌舞伎座はまだ開場していない)。今から約60年前の「熊谷陣屋」演出の記録としても、興味深い点が多々あったけれど、解説の児玉氏によれば、この映画、制作の目的などについては、いまひとつよくわかっていないもののようである。
さて、ここに1冊のパンフレットがある。
寺子屋
今回の博物館の展示にも並んでいたが、たしか去年の古本市で入手したと記憶する。初代播磨屋、もう1本の映画を一般公開した際に売り出したものらしい。これも、演劇博物館はフィルムを持っているらしいが、私はまだ未見。
で、このパンフレットをみると、吉右衛門の映画としては、こっちの方が先に撮影されているらしい。パンフの中で、吉右衛門が「映画を撮りましたのは、今度が全く初めてでございます」と述べている。しかし、「昭和26年6月2日発行」となっている。まずは東京(歌舞伎座か?)で公開されたのだろうが、詳細不明。当方所持のパンフには、7月16日から25日まで、京都南座で公開されたときのチラシが挟み込まれていた。いずれにせよ、一般公開は昭和26年夏だったようで、このパンフの裏表紙に「近日公開!」として、本日上映の「熊谷陣屋」の予告広告が掲載されている。つまり、撮影から1年半ばかり公開されなかったことになる。これは、その間、お蔵入りになっていた、というより、そもそも、日本での一般公開が最初から前提にはなっていなかったフシがあるためらしい。そのあたりのことは、本日会場で配布された資料に掲載の、制作当時の各種報道記事からうかがえる。
「熊谷陣屋」は、監督をしたマキノ正博の証言だと「普通に客を入れた状態で、東京劇場の楽日に撮った」(1990年のインタビュー記事、本日の配布資料にあり)由であるが、昭和25年1月の、東京劇場での「熊谷陣屋」の上演記録は、ない。また、それ以前に撮影と思われる「寺子屋」は、パンフ裏見返しの河竹繁俊の文によると、名古屋の御園座で4日間かけて撮影した由であるが、これまた昭和24年ないし25年の名古屋での「寺子屋」上演の記録も確認できない。つまり、吉右衛門劇団の公演のついいでに記録を撮ったのでなく、わざわざしつらえて撮影しているらしい。ちょっと調べれば、もっと詳しいことはわかるのだろうけれど、案外、基本的なデータが揃っていないような気がする。
本日上演のフィルムは、吉右衛門の手許に遺されたもので、フィルムの冒頭にも「波野家蔵」というクレジットが入る。上掲パンフによると、映画の制作元は「プレミヤ映画株式会社」で、提供は「歌舞伎映画社」となっている。しかし、本日のフィルムの巻末には、名前は失念したが、テレビ制作会社風の社名がクレジットされており、かつ、出演者のひとり、沢村訥升に「現・宗十郎」との断りがついているので、これは8代目宗十郎襲名後(昭和28年以後)に、別の会社が再編集かリプリントしたフィルムではないか、という気もする。
そもそもの「熊谷陣屋」は、パンフによれば、「寺子屋」ともども、パートカラー作品だった。「寺子屋」は、首実検からいろは送りの箇所がカラーになっていたらしいが、「熊谷陣屋」は、どのあたりだったろうか?思うに、義経の出から首実験を終えたあとの熊谷の引っ込みのあたりまでだったのじゃないか、と想像する。撮影時期でいえば、「カルメン故郷に帰る」の公開の1年以上前である。カラー版のフィルムは、残ってないんだろうか?
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